今日は谷津干潟の話しです。これは昨年2月の写真です。
その時のブログ
昨晩、NHKでこの谷津干潟を一人で掃除を始めた「森田三郎さん」の事を再現ドラマにしてやっていました。
(田澤浩一)さんが書いたものを引用させて頂きます。
現在の谷津干潟は、野鳥の楽園・国設鳥獣保護区として、またラムサール条約登録湿地として習志野市のシンボルともなっています。しかし、かつてそこは、埋め立てを前提に半ば公然とゴミが投げ捨てられ、ヘドロと悪臭にまみれた、習志野市の恥部とまで言われた場所だったのです。
今から二十数年前、たった一人で、 一周3.5kmにも及ぶ長方形の護岸の前にうずたかく積み上げられたゴミに立ち向かう決意をした青年がいました。ふるさとの海―“ふかんど”を残したい、ただその一心で 。
森田三郎 29歳の冬。新聞配達の合間をぬって、市川市からバイクでゴミ拾いに通い始めた青年に、好意的な目を向ける人はほとんどいませんでした。悪臭に悩まされ、早期埋め立てを望んでいた地元住民の中には、彼をよそ者呼ばわりし、目の前でゴミを捨てて行く者までいます。そして行政には干潟のゴミの引き取りを拒否される。そんな状況のなか、たった一人で谷津干潟愛護研究会を設立し、雨の日も雪の日もゴミ拾いを続け、数年が過ぎようとしていた頃でした。彼の情熱に心をうごかされた地元の主婦が、ついに三郎にゴミ拾いの手伝いを申し出ました。
それから徐々に支援者の輪が広がり始め、多くの市民が参加しての谷津干潟クリ-ン作戦の開催、主婦を中心とした谷津干潟環境美化委員会の設立、森田三郎の支援者・ゴミ拾いの仲間達による谷津干潟友の会のPR活動などをとおして干潟保存の気運が高まり、ついに市による埋め立ての方針が撤回されるに至ったのです。
その後、習志野市議会議員を経て千葉県議会議員となった現在でも、森田三郎と仲間達によるゴミ拾いは続いています……。
テレビにはご本人も出ており当時の思いを語っておりました。
今もあまり綺麗な水ではないんです。それは海や川からゴミが流されてきて溜まってしまうからだそうです。
いつでも掃除はしないといけないらしいです。
ですから、今日は谷津干潟そばのバラ園と公園の写真をお送りします。
ヘルムット・シュミット ドイツ元首相の名前です。

このバラ園も住民や支援者によって残されたものなんです。当初は干潟と同じく住宅地となる予定でした。
ダダンダダン、ダンダダン、あなたと私が夢の国~♪
チェリッシュ、です。

そばの公園から。

ドウダンツツジも真っ赤に紅葉してます。


習志野市民として「谷津干潟」のここまでの経緯を記述しておかねばならないと思いました。
なぜそこまでやろうと思ったのかと聞いたら「
谷津干潟が呼んでると思ったんだよなぁ・・・」ですって。
文字が多くて最後まで観て下さって感謝です^^


ありがとう!